映画ゴーストワールドのリバイバル上映を観に行った。初めて観た。主人公イーニドは高校を卒業した後、進学も就職もせずに親友レベッカと街をぶらぶらして街の人々を馬鹿にしながら過ごす。しかし、レベッカも就職をし、イーニドがレコードオタクのシーモアに惹かれていくころ、二人の関係も変わっていってしまう、という映画だ。
イーニドは偽物を馬鹿にしている。50年代ダイナー風のお店を、女優になろうとする同級生を、新聞広告にバスで出会った女性と再会するための広告を出す男を。
なぜこんなにこの映画が響いたのだろう、と考えた時、私もゴーストワールドにいることがあったからだ、と気づく。このブログのタイトルは「月曜日の幽霊」というもので、ティーンだった頃に書いた詩のタイトルから取っている。一部を引用する。
脇道は宇宙への入り口
日曜日のうちに彼らは出て行った
月曜日にも死体は見つからないだろう
唇だけがやけに血色のよい
彼らの幽霊はこちらをじっとみていても
ひとり、ひとり、殴り飛ばして
ぼくはここに住もうと思う
私は月曜日の幽霊だったし、幽霊たちの住む場所の中でただ一人の生者のような気持ちで生きていた。今もそうかもしれない。
私たちはダサくて、自己中で、孤独だ。これからは大丈夫かもしれないし、全然大丈夫じゃないかもしれない。でも、レベッカの優しさにも、同級生たちの凄さにも、気づくことだってある。自分の愚かさに気づくとき、180度考えが変わる時、大嫌いだったものが好きになる時、ゴーストワールドで誰が幽霊で誰が生存者なのかを考えるのが私は面白いと思っている。捻くれ者の仲間として、イーニド、だから、どうか生き抜いて。