2026年8月某日

第三舞台2026の演劇「パレイドリア」を新宿の紀伊國屋ホールに観に行った。

高校生の時に、図書館にあった「スナフキンへの手紙」という戯曲を読んだのがきっかけで、第三舞台のセリフが流れてくるTwitterのBotをフォローして、ひたすら星をタップしては、このセリフがどんな風に、どんな場面で発せられたのだろうと思いを馳せていたこともあり、第三舞台は私にとって憧れの劇団だ。

ただ、第三舞台の舞台がベースとなっている小説版「ベター・ハーフ」を先日読んだとき、あまりに自分の好みとはいえず、古臭い男と女の物語を書くなあと思ったため、今の鴻上さん(脚本・演出を担当されている)が書く物語を楽しめるのか?と少し不安な状態で観劇した。
結果、しっかり楽しんだ。昭和の匂いを感じるサークル活動に対して、AIで再現された故人がいたりと、古い匂いと新しい匂いをリンクさせている。過去と今を繋げるような演劇だった。時代は大きく変わって人の感じ方や考え方も変わったけれど、人の生きていく悩みはずっと続いている。

 

観劇後、紀伊國屋ビルの各階の本を半日かけて舐めるように見て回って、本をたくさん買う。

買った本

・角悠介の「呪文の言語学: ルーマニアの魔女に耳をすませて」(タイトルが面白そうなので)

・凪良ゆうの「美しい彼」(凪良さんと一穂さんのBLを読んでみたく)

・一穂ミチ「ふったらどしゃぶり」
・ヘルマン・ヘッセの「地獄は克服できる」*1

 

観劇だし、と思って、かわいいかわりに底が固い靴を履いていたので、足の裏が痛い。帰宅中は観劇して色々と考えたいのに、頭の中足の裏が痛いしか思い浮かばなかった。

 

2026年7月某日

はっきりと、潰した感触が指に残っている。指で虫を潰す夢をみた。起きてすぐ、「虫 つぶす 夢」で調べる。仕事上の邪魔なものを取り払える、という意味もあるらしい。最近仕事で色んな人に物を申しすぎているので、心当たりがある。

印象的な夢をみると夢占いを調べる習慣がある。小学生の頃、インターネットは占いサイトを見るために繋いでいた。そのときの名残である。幻想的な画像素材が使われたインターネットサイトが、真偽の程はわからないが夢に意味があることを教えてくれていた。占いはインターネット初期の一大コンテンツだったと思う。

 

2026年7月某日

朝起きた頃、窓の外が明るすぎて今日はもう外に出られないと思った。

東京の高校野球大会の決勝戦を途中から見る。見ながら、ずっと放置していたコットン糸で編んでいるバッグの続きを編む。模様あみにミスがあることに気づいて、糸を解いて編み直す。そうしていると、神奈川の高校野球大会の決勝戦が始まる。東京大会のときは照り付けていた太陽が、雲に隠れ、雨まで降り出す。

夕食後に編みかけのバッグをカーペットの上に置いていると、猫に粗相をされる。猫は知らない匂いだったから仕方がない、という顔をしている。急いで手洗いして干す。

 

2026年7月某日

花火を見る夢をみる。大きな幸運が訪れるらしい。それはありがたい。

ここ数日、はっきり夢を覚えているのは、お腹の調子が2〜3週間ほど悪い状態が続いており、縋るよにヤクルト1000を飲んだからかもしれない。ヤクルト1000を飲むと、夢をはっきり覚えていることが多い。

 

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エンターテイメントの光を受けて、その光により人生って実は楽しいのでは?と思い出し、日々を生きている。たまにnoteにエンターテイメントについて思ったことを残すようにしはじめた。

最近ハロコンの記事を書いたので、こちらにも掲載する。

【ハロコン2026】小田さくらさんは四天王を率いるラスボスであり、ギラギラした挑戦者でもある|小林はやき

 

 

*1:この時の日記に書いて改めて読みたくなった

2026年7月某日

35度を超えるという天気予報を聞いていたので、1時間早く出社しようと思いながら眠りについて、想定していた時間に目を覚ましたが、30分布団の中でスマートフォンを見つめる。嫌だった。起きて仕事に行くのが。それでもどうせ行くのだから、と理想の30分遅れで、そしていつもより30分早く家を出る。家の玄関ドアを開けると、部屋の中よりも圧倒的に空気が重い。ヤフー天気予報のアプリを開くと、すでに30度を超えているらしい。

最近毎朝聞いているモーニング娘。の新曲「Lonely...But not Alone」を聴きながら歩く。『ゴミも捨てなきゃいつかやるでしょ誰かやるでしょ』という歌詞を聴きながら、ゴミを出し忘れたことに気づく。いつかやるでしょ、誰かやるでしょ、と心の中で歌いながら、シンクにたまった洗い物だとか、バスタオルがなくなる寸前の洗濯サイクルとか、ごちゃついていてせっかく買った分割キーボードが置けない仕事机とかを思い出し、情けなくなる。でも、この曲はお風呂にちょっと長めに入って、『明日は素晴らしい』で終わる曲なのだ。そう言ってくれることで、少し明るい気持ちになれる。

open.spotify.com

 

先日の「におもきまず」事件に関連していると明言されているわけではないが、おそらく、どう考えたって、関連しているしかない飲み会が開催され、なんとも複雑で気が重いまま参加する。お酒を飲むと陽気になる性格ではあるが、お酒があれば解決するものでもないような、とより気が重くなる。

 

2026年7月某日

中島健人さんのライブに行く。これで2回目で、前回は有識者である友だちと一緒に行ったのだが、今回は私が有識者として夫を連れて行くことになった。席がとにかくいい席で、開演前は畏れで手が震えた。ライブが始まると、その一挙一動を視力が悪い私でもはっきりと見ることができ、最初は緊張して「こちらを絶対に見ないでください」という気持ちでいっぱいだったのだが(こちらからはしっかりと見る)、終盤になると、とにかく楽しくて大声でコールをしていた。

ケンティーは、ケンティーを作り上げてくる。彼自身が持つ高貴さや面白さ、キュートさが反映された上でのアイドルケンティーなのだと思うが、それは入念に丁寧に作り上げられてきたものだと思う。そして、私はそれに安心して、楽しむことができる。

中島健人さんのライブのアンコールでは、最初は「健人!」と名前を呼ぶオーソドックスなアンコールなのだが、次第にどこからか歌が聞こえてくる。アンコールでは、彼のソロデビューアルバムの曲「ピカレスク」のサビの一部をファンが歌うことで中島健人さんを呼び出す、ということは前回のライブで学んでいた。だから、「健人!」の裏から次第に聞こえてくる「ピカレスク」の歌声に興奮した。
前回はうろ覚えて歌っていたのだが、今回はしっかり私も歌えるように歌詞を覚えてきていたので、そのコールに参加する。そして、ケンティーが再びステージに現れ、彼も「ピカレスク」を歌う。これは楽しすぎる。私が歌手ならば同じ方法でアンコールしてほしい。

 

鍼に行く、「におもきまずい」仕事

2026年7月某日

鍼をうってもらう。体の凝り固まりのせいで頭が痛いのか、顎関節症のせいで痛いのか、細かいことはもういいから楽にして欲しい。引っ越しをしてから新しい鍼灸院を見つけるのが億劫だったが、楽になりたいという想いで乗り越えた。

マルチーズを飼っているという鍼灸師さんに鍼を打ってもらう。我が家には猫が2匹いることを伝える。1時間ほどの施術の後、鍼灸師さんは一呼吸おいて「いろいろ溜まっていますね」と言った。「はい」と返事をしたが、なんだか抽象的な会話だった。

終わった後、とにかく呼吸がしやすい。首から背中にかけて全てが一枚の岩のようだったものが、肉体に戻っている、と思った。

 

2026年7月某日

昨日は仕事で立場が圧倒的に上の人に対して、言いづらいことを言わないといけない状況になり、とにかく疲れた。その相手と今日は顔を合わせる機会があった。漫画「宝石の国」の中で、フォスが荷が重い&気まずいを「におもきまずー」と表現したが、それがぴったりの状況だったため、何度も「におもきまずー」と心の中で唱えた。

20代の頃の自分ならば、動悸で冷静でいられなかった状況だが、ここ数年、仕事と自分を切り離す訓練をしてきたかいがあったのか、「におもきまずー」レベルで済んだ。

訓練というと大げさだが、具体的には念じているだけだ。終業後は仕事のことを考えないようにする。それでも考えてしまうが「考える必要はない」と念じ続ける。不安の対象が、自分にコントロールできることなのかを不安でおかしな挙動になる身体が理解できていなくても、頭では理解できるところまで整理すること、を行なっている。

帰宅すると、バレーボールのネーションリーグのベルギー戦が第三セットまで進んでいた。連勝を続けている男子バレーが眩しい。

モーニング娘。の「なんちゃって恋愛」という曲に『色々と言うけれど輝きたいだけ』という歌詞がある。この歌詞に「本当にそれなんだよなあ」と思う。

わだかまりなく

2026年7月某日

宝くじを買う。宝くじはネットで買っている。紙の場合は自分のチェックが正しいのか不安になる。一つずつ番号に対して、はずれか当たりかが順々に表示されていくUIもなかなかよい。

宝くじで大きな金額が当たったら、大学に行ってみたいと思っている。最近、自分が認知症になったとき、何の話をするんだろうと考えることがあって、大学に行かなかったことを誰かのせいにして、生まれた性別のせいにして話すのではないか、と思うことがある。少し酔っ払った時に友人にそれを話しながら、勝手にぽろぽろ涙が溢れてきたことで自覚した。環境にハードルがあれど、本当に望むのなら叶えられたかもしれない中、全ては自分の選択であった。後悔はないと思っていたけれど、選ばなかった選択肢がいつのまにか大きなわだかまりとなっている。

宝くじが当たらなくても、本当に望むなら行動すればいいだけだ。でも、お金を稼ぎ、それを娯楽に使う生活に耽ってしまう。その生活も悪くないと思っている。学びたいのではなく、女に生まれたことを後悔したくないだけなのかもしれない。そもそも私は大学というものをよく知らないのだ。chatgptに相談したら、放送大学を一科目だけ受講してみたらどうだろうと提案され、それも良いと思った。わだかまりなく、成仏したい。

 

2026年6月某日

とてもやっていられない気分になり、ソファで2時間ほどぼーっと過ごして、それから家を出て駅まで歩く。学生たちが帰る時間帯。駅に着くと、近くの寺で何かを焼いているのか、焦げ臭い匂いがした。匂いを嗅いだとき、気分が良くなった。私はやってられないところから離れらられる。

誰かに言われないと、自分がひどい扱いを受けたということを認めることができない。自分はひどいことをされた、無茶を押し付けられた、と自分から言うことができない。他人に言われて初めて、そういってもいいレベルなのか、と思うことができる。ただ、それを自覚すると辛さを感じ始める。この自覚は何度目かわからない。ただ、今日はこの性質に、過去の出来事や人と遡って原因やら解決方法を考えたくない気分だった。事象を分解しようと、頭の中に浮かぶマインドマップの枝葉を何度も消す。今こうである自分がいるだけにさせてほしい。

電車に乗って、初めていく町の静かなコーヒー屋さんへ行く。薄暗い店内で、この日記を書きながらコーヒーを飲む。ネルドリップで淹れられたコーヒーは、口当たりが良くてすっと体に馴染んでいく。頭頂から足先まで張り詰めていた皮膚が、ゆっくり弛緩していくようだった。

 

2026年6月某日

起きて、草むしりをする。曇っているため気温は高くないが湿度が高く、じわじわと汗が滲んだTシャツが重たく感じる。45リットルの袋に入る分の雑草を抜く。

シャワーを浴びて、出かける。電車で移動しながら凪良ゆうの「流浪の月」を読む。続きが気になり、本を手に持ったまま電車を乗り換える。用事を終えて帰宅する電車の中で読み終わる。

最近はできるだけその日にreadsというアプリで感想を書くようにしている。

https://www.reads.jp/u/hayaki

ライブが好きなのは、楽しそうな人がたくさんいるからかも

2026年6月某日

定時で退勤してBEYOOOOONDS西田汐里ちゃんのバースデーイベントにいく。ハロープロジェクトのバースデーイベントでは、所属グループ以外の曲を歌うことも多いのだが、結構古い曲であってもコールができるオタクたちがいつもどこにでもいるので、歴史の深さに凄みを感じる。隣の席の方がのりのりで踊っており、気分がよかった。私がライブが好きなのは、楽しそうな人がたくさんいるからかもしれない、と思う時がある。

帰りに最寄り駅の構内に入っているラーメン屋でラーメンを食べる。たまに食べに行くのだが、先月のある日突然、スープのおいしさが3割増しになっている日があった。その味が継続されているのかを確かめに食べに行った。先日よりも少し薄めに感じる。あの日が特別だったのか。チェーンのお店なのだが揺らぎがある。

ラーメンを待つ間、スマートフォンの電池が3%になっていたのと、持っていた本も読み終わってしまっていたので、メニューを眺めながら、まじめに考えすぎて投稿できなかった日記のことを考えていた。日記はできるだけ文章という形をぎりぎり保ちながら、垂れ流すように出力したい。太宰治の女生徒に憧れる。

 

急に具合が悪くなるをレイトショーで観た

2026年6月某日

レイトショーで「急に具合が悪くなる」を観る。3時間の映画を見る時は、途中で集中できなくなってしまうこともある(特に途中からお手洗いに行きたくなって、お手洗いに行くか行かないかで集中が乱れる)のだけれど、ずっと集中していた。この映画内でも、夜中まで主人公の二人が語り合うシーンがあって、レイトショーなのも相まってそこに自分も存在するかのように入り込んでいた。夜中まで友人と語り合っている時のような当事者感がありながら、リラックスして観ていられた。

ちょうど友人と資本主義の限界について話をする機会があった。別の機会で別の友人とだ。今の自分の周りの世界を眺めた時に、無関係ではないことを嫌でも思わせる出来事が最近は多かった。結論が出る話ではできないのだけれど、これから私たちはどうするのか、ということ。

映画内でマッサージをする/されるシーンがたくさん出てくる。人の手に触れてもらうことの力を私は知っていると思った。ちょっと前に日記に書いたはずと思い探したら、2023年に書いていた。この頃は休職し、文字通り寝ているだけの毎日だったのだが、自分の手ではなく夫に髪を洗ってもらうことで『自分だけではエネルギーの循環がうまくいっていないところに、他人の手が触れることによって流れが変わるようだった』と書いている。その感覚がこの映画にもあった。

nblue.hatenablog.com

 

映画が終わり、観終わった人たちに混じってエレベーターに乗り、静まり返った商業施設出る。終電間際の桜木町駅のホームは、飲み会帰りで会話の音量が大きくなっている人たちもいて、日付を超えそうな時間だというのに賑やかだった。その人たちと混ざりあい、電車に乗って帰る。一番最寄りの駅まで帰ることができない時間だったため、30分くらいかけて歩く。雨が降っていた。