自信はないけれど、自信があるように歩けること

2024年1月某日

宇多田ヒカルの曲って魂だけの存在になって、誰かを見守るみたいに愛を歌っている感じがする。でも、魂だけの存在で肉体がないかと言われるとそうではなくて、歌詞に出てくる生活感だったり肉体だったりで、そういう愛も確かにあったよなって少しずつ体のことを思い出す感じ。それが切なくて好きだ。特にStay Goldを聴きながら思う。

 

散歩をしていると、おじいさんに道を聞かれた。Googleマップで調べて、歩いて1時間くらいかかるところに行きたいというので、時間がかかりそうな旨を伝えるが、それは問題ないという。Googleマップを見ながらぐるっとその場を一周回転して方角を確認してから、曲がるべき交差点を伝える。おじいさんとは反対方向に歩く。別れてから、ちゃんと辿り着けるか不安になってくる。

 

人に道をよく聞かれるのは、話しかけやすい見た目だからかと思っていたけれど、違うかもしれない。今日はイヤホンをして、調光レンズでサングラス仕様だったのに、他に人もいたのに、ピンポイントで話しかけられた。いつも、道がわからない時はとりあえず歩くかって心持ちで歩いて、間違っていたから「違うかった」って言う。そうすると夫に「自信満々に歩いてたからついて行ってしまった」ってよく驚かれるのだけれど、外から見ると、自分は普段、自信満々に歩いているようなのだ。もしかしたら、これが道を聞かれる所以なのかもしれない。自信はないけれど、自信があるように歩けること。

 

とても長く休んでいるおかげで、今まで気づかなかったことに気づいたこともあって、責任っていうものを全て自分の物語で背負うことだと思っていたけれど、それは少しやりすぎかもしれないってことだった。相手の言葉を受けて、全部、自分の物語の中で解決する。相手の物語の中で解決することは望まないし、なんか怖い。自分の中に答えがあるから、ほとんどの共同作業が茶番になる。全部委ねるのはもちろん違うけれど、ちょっとやりすぎちゃう、失礼やし、と思う。相手の物語の中をぐるっと巡って出てくる言葉を待つことをちゃんとしたい。